朝、老夫妻たちにバス停の場所を教えてもらい、そこまで送ってもらう。PMVはなかなか出ず、結局出たのは9時半頃だった。


ハイランドハイウェイを下っていく途中に、事故で足止めをくらった。トラックの荷台からショベルカーの部品か何かの巨大な機材がドスンと落ちていて、道を塞いでしまっていたのだ。20分くらいたって、ようやく通れるようになった。


レイまでの道、窓の外には広い平原が広がっていて、地平線が見えた。


レイまでは結構長い道のりだったせいか、隣に座っていた小さな女の子が、酔って戻してしまった。僕は、たまたま酔い止めを持っていたので、その子に渡すと、その子はその物体が一体何なのか分からない様子で、じっとその錠剤を見つめていた。母親が「飲むのね?」とピジン語訛りの英語で聞いてきたので、「そう、飲むんです」と答えると、母親は子供に、「これは飲むものなのよ」と教えていた。


途中、窓の外には川や滝が見え、そこには荒い濁流が流れていた。上流の方で、またひどい雨でも降ったのか、それともその川がいつもそういう流れを持った川なのかは分からなかった。


レイについた。今自分が居る場所がどこなのかが全くわからなかったので、周りにいる人に聞くが、それでもまだそこがどこなのか分からない。近くにいた少年二人が案内してやる、と言い出してくれて、ようやく目的地のサルベーションアーミーホステルについた。体育館のようなところでザコ寝で2キナだというので、そこに泊まること決めた。そこまで案内してくれた少年達が、「ねぇ、シャワー浴びてきたら?」とか言ってきた。多分彼らは僕の荷物を狙っているんだな、と気づいたので、ひとまずそのホステルに泊まっていた、一人のお姉さんをみつけて、荷物を預けることにした。レイは物騒な街だからとにかく気をつけろ、と言われていたので、僕も慎重になっているのだ。少年達が「喉が渇いた」というので、ジュースをおごってやると、ようやく彼らは去っていった。


一段落ついてから、さっき荷物を預けたお姉さんのところへ荷物を取りに行った。僕が礼を言うと、彼女も「ここは物騒だから気をつけなさいね」と教えてくれた。彼女はベティーという名で、他のニューギニア人と違い、品のある、きれいな英語を話していた。泊まっている部屋も僕らのようなザコ寝部屋ではなく、きちんとした個室に泊まっていて、一人のちいさな赤ん坊を抱いていた。風とおしの良いその体育館のような場所で、彼女としばらく話をしていた。


庭に出てボーっとしていると、その宿に泊まっている、サイモンさんというおじさんと仲良くなることができた。クンディアワから来たそうだ。少しボーっとしたところのあるつかみどころの無い男だったけれども、少なくとも悪い人間ではなさそうだった。チンブー族の出身なので、チンブーマン、と周りの人は呼んでいた。彼といっしょにあたりを少し散歩した。彼はそれほどしゃべる人間ではなかったので、時々ポツポツと会話を交わすぐらいだったけれども、一人で街中を歩くよりもずっと安心できた。


夜、外からベースの音が聞こえてきたので、何だろう?と思ったら、礼拝堂で高校生くらいの少年達がバンドの練習をしていた。教会の何かの催しで使う曲だろうか、『GIVE THANKS TO THE LOAD』という曲を3人で練習していた。後から子供たちどっと入ってきて、みんなでその曲を歌っていた。とてもシンプルなメロディーをもったキレイな曲だった。僕も歌っていた。


この体育館のような部屋には、50人くらい泊まっていて、壁の上にかけてあるテレビをみんな見ている。なんだかまるで、地震か何かの避難所みたいな雰囲気を持っている。時間が来て、テレビが消され、みんなが寝る準備をしだした。僕がリュックから寝袋を取り出すと、周りのみなはその物体を不思議そうな目で眺めていた。