昨日書いたひろし君宛ての手紙を出しにいってからマーケットへ向かおうとすると、船の中でいっしょだった少年にばったりと出合った。彼といっしょにマーケットへ行く。マーケットで貝がらのネックレスを買った。予備校に戻ったら、仲良くなった女の子にでもあげようと思う。


マーケットを出て、少年といっしょに旧日本軍の慰霊塔へ行った。慰霊塔は長い坂の上に海を見下ろすように立ってて、その坂を上っているあいだに随分と汗をかいた。慰霊塔のまわりには気持ちのよい風が吹いていたので、少年と僕はしらばくそこで涼んでいた。


街の地図を広げてみてみると、「ラバウル高校」というのが目に入った。マウント・ハーゲンで出合った協力隊の一団の中に、ラバウルの学校が赴任先だった人がいたのを思い出したので、尋ねてみることにした。高校へ行ってみると、ここには協力隊の人間はいない、ということだったけれども「ボイスンという近くの街の学校に日本人教師のボランティアがいた」ということで、尋ねてみることにした。少年には街を案内してもらった礼を言い、彼とはそこで別れた。


ボイスンの学校へ尋ねてみると、山本さんというマウントハーゲンで会った人ともまた違う隊員のがいた。ちょうど彼の授業が始まるところだったので、「よかったら僕の部屋で休んでいてください」と、学校の敷地内にある彼の住居に案内してくれた。平屋の小さな家だった。部屋の中では、得にする事もなかったので外に出てみると、あっという間に子供達に周りを取り囲まれてしまった。日本人の少年は、やはりこの街でもめずらしいようだ。子供達にいろんな事を聞かれ、いろんな事を話してあげた。


山本さんが授業を終え、「エアニューギニのオフィスに用事があるから」ということで、僕もポートモレスビーへ戻るチケットをついで買うことにし、いっしょに行くことにした。山本さんが先にバイクで行って待っているということで、僕はPMVに乗って街へ出ることにした。


エアニューギニのオフィスへ着いても山本さんの姿が見えなかったので、軒先の地面に座って山本さんを待っていた。途中、昨日宿で会った人とはまた違う、地元の学校の先生というニューギニア人と知り合った。彼はJICAか何かの招待で日本に来たことがあるそうだ。


1時間くらい道端に座って山本さんが来るのを待っていたのだけれども結局彼には会えず、諦めて自分の用事だけを済ませ宿に戻った。


夜、宿の食堂に晩御飯を食べに行く。食堂はがらんとした素っ気のない作りで、蛍光灯の明かりが弱いせいか、人の話す声がどことなくぼんやりと響いているような感じがする。同じテーブルには女の子が3人座っていた。3人の内ひとりは、どことなくこの土地の人間とは違う髪を持っていたので、出身を聞いたらニュージーランド人とのハーフなのだ、という事だった。ニュージーランドには一度も行ったことは無いそうだ。


夕食後、外に出る。夜間は外に出るな、という事だったけれども、宿の傍なら平気だろうと門の外へ少し出てみた。夜風にあたって涼んでいると、見知らぬ男が近づいてきて、マリファナと売りにきた。その男自信が既にマワっていたようで、口取りがあやふやでふらふらしていたので、危険はあまり感じなかった。男の申し出を断っていると、宿の庭にいた別の男性が寄ってきて、男を追い払ってくれた。礼を言うと、昼間街の中で出合ったニューギニア人の学校の先生だった。彼とそこでしばらく話をした。サザンクロスがどれなのかを聞き、それから昔、彼が日本へ招待された時の事を聞いた。


彼は日本から持って帰ったテープに入っている曲を子供達に教えている、ということだった。「どんな歌?」と聞き歌ってもらうと「上を向いてあるこう」だった。その歌を歌っていた歌手は飛行機事故で死んだ、という事を教えてあげると、彼は既にその事を知っていた。彼とは長い間話をしていた。